当店のあゆみ
創業昭和二十一年
戦後間もない昭和二十一年、わずか九坪の敷地を間借りして
私たち高山額縁店は誕生しました!
当時は物資、特にガラスの調達が困難を極め、廃品回収などで
ガラスを集めていたそうです。
戦後は、先の大戦でお亡くなりになられた英霊を奉るガクブチが
需要の殆どを占めていました。
写真は当店の軒先でポーズを取る創業者
「高山常隆」
今となっては信じられない光景ですが、戦後間もない頃は店舗のすぐ裏手に位置する堀川がこどもたちの遊び場として広く利用されていたと聞きます。
この頃の堀川は今と比べてもまだ綺麗だったそうです。
昭和三十年代前半~昭和四十年代
経営が順調に起動に乗りかけた昭和三十年代前半、
日本におけるガクブチ産業のメッカであった愛知県には私たちを含め、全国の小売店さまへ商品を納める製造元や卸問屋さんが集まり、お互いにセンスや技術を競い合っていました。
高度経済成長期、人々の生活にゆとりが芽生えた
昭和三十年後半から四十年代。日本中に空前の
マイホームブームが湧きおこりました。当時は
家の中に飾る絵画や、賞状を収めるガクブチが需要の
殆どを占めていたそうです。
当店が事業拡大の為増築し、新聞紙面にて売り場面積
日本一を誇る額縁専門店と紹介されたのも、ちょうど
この時期です!?
昭和~平成~そして現在
堀川に浮かぶ二羽のプラスチック製の白鳥。
これは当店の創業者である故髙山常隆が、
当時ドブ川だった堀川の再生を願い、
少しでも川に目を向ける市民が増えてくれれば
との想いで三十年以上にわたり続けてきた
取りくみです。
残念ながら堀川の浄化は思うように進んで
いませんが、遊び心がイッパイ詰まった常隆の
小さな善意を、残された私たちで次の世代へ
繋げていけれれば幸いです。
日本人のライフスタイルも時代と共に変わり、
わたしたち額縁業界を取り巻く環境も激変
しました。昔のように手作りに拘る職人も
後継者不足が原因でわずかしか残っていません。
それでも私たち納屋橋㈱高山額縁店は、
お客様の求めるニーズにお応え出来る様、
今後も全力でお客さまにご満足いただける
サービスの提供を心掛けてまいります。
今後とも納屋橋㈱高山額縁店をどうぞ
宜しくお願い申し上げます